どうも、ゲーム作ったりビジネス作ったりしている新田です。
僕は資産形成をして、金銭の自由、時間の自由を得てきましたが、最初から順調だったわけではありません。
人生とはなかなか自分の思うようにいかないものです。
友達だと思っていた人の裏切り、傷つきまくりの恋愛、目標になかなか近づけずクソ雑魚な自分を思い知らされ腐り、病んでしまう。
そんなことが連続して起こると、「なんだこの人生? 生きていてなんかいいことあんの?」と思ってしまい、「死」の文字が頭にふと浮かんだりしてしまう。
それは僕も体験してきたことです。
■スクールカーストの最下層の自分
クソ雑魚・・・中高生のときは、思いっきり「スクールカースト」という、クラス内での順列があり、自分はいわゆるインドアでゲーム好きな「ナード(オタクみたいな人種)」という位置にいたわけです。
スクールカースト – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88
スクールカーストで言うと、まず運動部の連中がカーストの上に来ます。
運動ができ、元気でハキハキした連中です。
そして気が強く声の大きなやつが最上位にくるという順列です。
その下に権威ある部活に入っている文化部連中が来ます。吹奏楽とか芸術系の部活をやっている人はこの中に入ります。
帰宅組でゲームしてたりコンピュータを触るような連中は下の下になるわけです。
僕はカースト的に下の下のグループでした。ただ運良く体格があったので、いじめられる対象からは外れていましたし、おとなしく体格も小さいグループからも外れていました。
しかし、「新田はおとなしいグループのくせに生意気」という話が広まり、運動部の連中からは目をつけられて、面倒な学生生活でした。
よくいたのは、今で言う「悪口を言ってマウントを取ろうとする」やつで、中高生とはそういう方法で集団の中でポジションを作ろうとします。
悪口を言われてそれに反論しないとマウントを取られたことになり、上下関係ができてしまうというやつです。
悪口を言われて無視を決め込んだり、ヘラッと笑ってやり過ごすのは悪手でした。ずっとそれを繰り返すままだと、マウントを取られてしまうからです。
悪口がエスカレートすると、こづいたり引っ張ったり、叩いたりしても大丈夫、みたいな認識になって、浅いいじめが始まります。
それが高ずると、パシリという使い走りにされたり、からかったり叩いたりのストレス解消の人柱がはじまるわけです。
僕は悪口はスルーすることが多かったのですが、身体的なからかいについては、運動部だろうが不良だろうがやられたらやり返していたので、目をつけられはしましたが、いじめの対象からは外れたというわけです。
僕は学校は嫌いではありませんでしたが、まわりで起こっているポジション争い、そしてポジション争いの末のいじめられっ子化が嫌いでした。
しかしこれは大人になってからも消えることはないようです。
男同士、女同士、それに男女間でもポジション争いは現在進行系で続いています。なんなら国同士でやっています。
ほんとうは、こんな争いはないほうがいいのでしょう。誰もがマウントを取らない社会が平等で平和なんだと思います。
しかしこれはおそらくDNAに組み込まれているのでしょうし、マウントを取らなくても、うまくいっている人を見て勝手に自分を下げる人もいます。
だから世の中は勝手に上下関係が決まってしまいます。
マウントを取ろうとする人は、DNAの司令で無意識的にやっている人が多いのでしょう。
■「根暗」パソコン少年
中学校のスクールカーストではゲーム好きの「クソ雑魚」だったわけですが、「ファミコンと言えば新田」みたいな感じで呼ばれていました。
なんとなく小馬鹿にした感じが嫌でしたが、実際ファミコンが好きでしたし、ゲーセンにも入り浸っていたのでそう呼ばれても仕方ない、みたいなところはありました。
ただファミコンは持っていても、友達のMSX(当時各パソコン会社が共通企画で作ったパソコン)やPC-6001Mk2やPC-8801などのパソコンほうが高度なゲームが多く、非常に羨ましかったのです。
うちは仕出し+ラーメン屋という自営業で、両親は年中休み無しで働くほどカツカツでした。とてもパソコンを買ってくれと言う雰囲気ではなかったのです。
クリスマスや誕生日、バレンタインデーなどのイベント日にはささやかに「ショートケーキ」を母親が買ってくるみたいな感じで、イベントらしいイベントなどできない貧乏さでした。
自分の部屋などもなく、居間に布団を敷いて寝る感じです。まあ当時はそれが当たり前だと思っていたので、別に劣等感とかはなかったわけですが・・・。
将来的にパソコンを使ってゲームを自分で作りたいと、ゲームデザインノートをつけ始めたのも中学のころでした。
ただ、そのノートはアイデアはどんどん書き込まれていくのですが、実際に作るところまでは至りません。
なにせ家のパソコンといえばファミリーベーシック(ファミコンでできるプログラミングキットのようなもの)だったからです(笑)。
(就職してからファミリーベーシックでクレイジーなゲームを作っていた「ファミベのよっしん」さんと知り合いましたが、中学当時はなぜあんなものが作れるのか、まったく理解不能な領域でした)
もんもんとしつつファミリーベーシックでゲームっぽいものを作ったり、ゲーセンのゲーム研究をして過ごすみたいな日々でした。
■貧乏少年が抱いた「夢」
ファミリーベーシックで最初に作ったのは、「マリオが画面の左から右へいくと画面が切り替わり、また左から右へ移動するのを繰り返す」ゲームでした。
途中、カメやらペンペンやらの敵が出てきて邪魔をするわけですが、この邪魔の難度が進めば進むほど上がっていくわけです。単純なゲームでした。
しかし、このシステムはこのゲームのポイントではありません。
途中にある背景の電柱の前で上を押すと、なんと電柱を登っていき、特殊なアイテムが手に入って敵を地獄に叩き落とす火の玉攻撃ができたり、異次元のような面に移動してマリオが巨大化して敵を踏み潰すことができたのです。
荒唐無稽なゲームでしたが、やりたいことは「隠された物を見つけると先に進めて、大暴れできる」ということでした。
これは僕が作ろうとしているモノのコンセプトに必ずと言っていいほど含まれています。
このコンセプトは、僕が小学生の時にやったゲームの中で自分をのめり込ませることに成功した要素でした。
単純ですが、非常に強力な要素です。
貧困ゲーム開発をしつつ「これをちゃんとしたゲームに盛り込めばヒットするに違いない」と確信したのです。
これが、「将来必ずやりたいこと」になったのです。
作ったモノをヒットさせること。これは大人になった今でも、ずっと達成したいことです。
■脳内麻薬をドバドバ出す方法
夢の片鱗を見つけてから、それをずっと追い続けているわけですが、ずっと生きることや仕事へのモチベーションを維持し続けられたのは、明らかにこの夢という目標があるからです。
ヒットを作るために、ゲームデザインや心理学、関連してマーケティングやコピーライティングを学び続けました。
そうするとどうでしょう? 研究を続け、情報を得続けていると、どんどんとヒットへの確信が増してきます。
確信度の低いことは、
「やってもうまくいくかわかんねーし、やる気出ねえ・・・」
となりますが、確信度が高ければ、
「これはうまくいくって! やべーって! 早く作ろう!」
と、めちゃくちゃモチベーションが上がるし、興奮冷めやらぬ状態になります。
これが脳内麻薬をドバドバ出すので、「うおーーーー!」と仕事を進めることができるというわけです。
なので、
「研究を続けて確信度を高めモチベーションを上げる」
ことは、非常に大事です。
めっちゃおすすめです。
僕はこれでビジネスを始めて起業後すぐ1億円稼ぎましたし、月収900万円とかいう頭のおかしな世界になりました。
人生が楽しくなりすぎて一気に人生観が変わることうけあいです。
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5年続ければ権威になることができます。
投資をするなら自分への投資が一番投資回収率が高い、というのはよく言われることですが、人生が一変するわけですから、高いどころじゃないわけです。
「あのころと比べるとなんじゃこの自分の変化は!?」
みたいな驚きと感動ですよ。
自己投資して勉強しまくってください。
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