どうも、ゲームを作ったりビジネスを作ったりしている新田です。
今回は僕がゲーム教材をどういう意図で販売し始めたのか? の理由を話します。
これは「オンラインで収益を得て自由になりたい」と思っている人であれば、非常に役立つ内容だと思います。
僕がビジネスを始めるきっかけとなった「金持ち父さん 貧乏父さん」を読んだのは29歳、実際に始めたのは31歳だったと思います。
29から31歳の2年の間に不労所得に関する情報を集めたわけです。
金持ち父さんのロバート・キヨサキが勧める不動産ではなく、ネットでビジネスを始めるのがめちゃくちゃハードルが低いと気づいてやってみたわけです。
で、ネットでビジネスを始めてむちゃくちゃ稼いだ話はこのへんで書きました。
[blogcard url=”https://n2-interactive.com/wp/2020/02/15/%e5%83%95%e3%81%ae%e5%a4%b1%e6%95%97%e3%81%a8%e3%82%b2%e3%83%bc%e3%83%a0%e5%88%b6%e4%bd%9c%e9%81%8d%e6%ad%b4/”] [blogcard url=”https://n2-interactive.com/wp/2021/09/25/%ef%bc%92%ef%bc%95%ef%bc%90%ef%bc%90%e5%86%86%e3%81%ae%e9%9b%bb%e5%ad%90%e6%9b%b8%e7%b1%8d%e3%81%a7%e6%9c%88%e5%8f%8e%ef%bc%95%ef%bc%90%e4%b8%87%e5%86%86%e3%81%8c%ef%bc%91%e5%b9%b4%e7%b6%9a%e3%81%84/”]僕はビジネスを始めるまで、「ゲームデザイン」一本でした。
ゲーム業界のプランナーとして、どうにか面白いゲームを作りたい、ヒットするゲームを出したいと、いろいろ研究していたのです。
小学生のころにゲームに触れて「自分も面白いゲームを作りたい」と思ってから、ずっとゲーム開発一本だったわけです。
ヒットゲームを作る。
それが僕の彼岸です。
小中でゲームに没頭し、高校でゲーム制作を開始。
社会人になってゲームを完成させ、ゲーム会社に就職してからもずっと、
「面白いゲームをどう作るか?」
を考え続けていました。
■誰も注目していないジャンル
しかし、資料がないんですね。
日本にはろくな資料がない。
ネットにつながって、初めて見たまともなゲームデザインの資料が「コスティキャンのゲーム小論」でした。
これを見つけたときは3日くらい興奮して眠れないまま、内容を分析して調べまくっていました。
その後「クロフォードのゲームデザイン論」などが発売されて喜んでいましたが、それにしても、日本の資料がない。
インターネットでは、海外の、今で言うインディデベロッパー(個人開発者)が集まるフォーラムでは、ゲームデザイン論を語る人がいたりしました。
また、ゲームデザイン論を独自でまとめている人もちらほらいたんですね。
しかし日本人は皆無だったわけです。
アメリカでは大学で論文をまとめて提出させる文化があるので、資料的なものがネットに散見されます。
が、日本はそういうのがないので、職人気質的に「盗んで学べ」的に共有されないことが多い。
あ、ちょっとマニアックでしたね(笑)。
そんな感じで、ネットの時代になってもゲームデザインについての資料がなにもないわけです。
ネットにも資料がないってことは、おそらくこの分野で意欲的な人がほかにはいないってことです。
いたとしてもそんなに研究しているわけじゃないということなんでしょう。
「誰も資料をあげる人がいない。じゃあ、自分で作るしかない」
そう思い、「ゲームのしくみ研究委員会」というサイトを立ち上げました。
■ゲームデザインのサイトを立ち上げる
それまでは、ゲームデザインについての記事を、プロバイダが提供しているホームページスペースに日記レベルでアップする程度でした。
が、今回は、本格的にゲームデザインのサイトとして立ち上げたのです。
サイトのURLも「新田 法継(N.N=N2)のゲームデザイン研究所(Game Design Laboratory)」ということで、「N2GDL」にしました。
(だから、n2gdl.netなのです)
そこで、自分がゲームデザインについてまとめた教材を売り始めたわけです。
自分のスキルがお金になればそんないいことはない。
また、「ゲーム企画の仕事をしたい」と思っている若い人たちにも、これは喜ばれると思いました。
なぜなら、彼らも資料をずっと探しているはずだからです。
彼らにとってゲーム業界にいる僕は「自分がなりたい存在」であり、業界で実際に働いているゲーム企画はどういうことを考えているのだろうか? ということを伝えることができるからです。
ノリとしては、同人誌を売っている感じです。
でも、これはネットだからこそできる商売でした。
このビジネスは、思いのほか成功しました。
僕が思っていたより、ゲームを仕事にしたい、ゲーム制作に興味のある人は多かった。
それまで、年収は500万円いけばいいほうでしたが、教材を売り始めた年は一気に2倍の年収1000万円を超えたのです。
■自分の人生を取り戻すために
僕は常々、
「会社に属していたら、大手の仕事させられるばかりで、自分のゲームが作れない」
「会社は社長が自分の夢を叶えるために立ち上げたものだから、自分の夢を叶えたかったら自分の会社を立ち上げるしかない」
と思っていました。
そしてオンラインビジネスでお金を得られるようになり、会社を作りました。
ゲームを作るお金を自分で稼ぎ、自分のゲームをヒットさせようと思い立ったわけです。
人の会社に属していたのでは、自由に使える時間は疲れて家に帰ってきた後と、土日だけです。
週に5日人のために働き、残り2日だけ自分もの。
これは逆じゃないとおかしい。
そんなんじゃ自分の人生を生きていると言えないのではないか?
そう思いました。
だから、会社を作り、365日24時間を自分のものにし、人生を自分の手に取り戻そうと思ったのです。
■MTJさんとの出会い
僕と同じように、ネットでゲーム教材関係のビジネスをしている人がいました。
その人は僕の大先輩で、「バブルボブル」「レインボーアイランド」「サイバリオン」などのヒットゲームを作った、MTJこと三辻さんでした。
MTJさんはゲーム専門雑誌「ゲーメスト」でもゲームデザインの連載をしていたことがあって、僕はその記事を穴が空くほど読み、切り抜いて資料にしていたほどファンでした。
ゲーム業界でゲームデザインを教えている稀有な人でもありました。
MTJさんは、個人で「MTJゲームデザイナーズスクール」というサイトを立ち上げ、普通のゲーム専門学校が200万円かかる学費を、通信講座で50万円で済む、として売り出していました。
僕はMTJさんにアポイントを取り、何度かお会いすることができました。
あのときは本当に興奮しましたね。
なにせゲームセンターで自分がハマったゲームを作った人が目の前にいるわけですから。
お会いすると、すごく優しい方で、人間ができている方だとすぐにわかりました。
MTJさんは、あまりにもゲーム業界のノウハウが後世に残されていないので、それを埋めるべく、スクールを企画したとおっしゃっていました。
教材自体はゲームスクールの講師時代などに、2年かけて作り上げたそうです。
スクールに入塾した生徒さんを、自分の人脈を通してゲーム業界に送り込んだりもしていて、業界の発展に貢献していました。
ものすごいパワーです。
僕と数名の友人と、中華を食べながら、ゲーム業界の今後やゲームデザインについていろいろ語り合いました。
僕の教材を買ってくれた人がMTJさんのスクールにも入っていたりして、熱量のある人がいるのは嬉しいね、みたいな話をしたのが印象に残っています。
MTJさんはその後腎臓疾患で若くして亡くなってしまい、ショックでした。
僕はMTJさんを始め、人々を楽しませている人が大勢いるゲーム業界に憧れて入りました。
今では業界人ですが、酸いも甘いも経験しました。
ビジネススキルを身に着けた今でも、クリエイターとしての精神を忘れず、ゲーム業界になんらかの形で貢献できればと思っています。
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