マイクラのノッチは、もともとサンドボックスゲームが好きで、シナリオ云々よりもゲームシステム重要視派だった。
プレイヤーの自由度を重要視していた。
自分が遊んで楽しいゲームを作りたがっていた。
サンドボックス系自体、世界的にあまり馴染みのないジャンルだった。
ただただ自由で、その中で目的を探すという意味では、飯田和敏さんが昔作ったアクアノートの休日や、太陽のしっぽが近いかもしれない。
僕も昔、ゲームはシナリオのゲームより、ゲームシステムが大事だと考えていて、その考えに割とこだわっていた。
ゲームとはインタラクティブが特性であり、それがプレイヤーを主体にした強烈な体験を生むからだ。
シナリオvsゲーム性
そしてRPGのような、シナリオ重視で一度クリアしてしまえば終わってしまうゲームがその対極だった。
シナリオはインタラクティブ(双方向)ではなくナラティブ(単方向)であり、ゲームとは相対していた。
僕はゲーム性原理主義だった。
ただ後年になって、シナリオ、ストーリー、もっというと言葉のパワーを知り、原理主義的ではなくなっていった。
言葉で人は動くし、言葉で感情的になり、感情は人の生き方の方向性を変える。
ゲームは面白ければ手段はなんでもよく、目的と手段がひっくり返ってもいけないと思った。
ノッチが見つけた「好き」に対する答え
ノッチの回顧録によれば、ノッチは20代、ずっとゲーム性原理主義的に過ごしていたようだ。
ノッチが影響を受けたインディゲームを実際にいろいろ見てみたりやってみたりしたが、それほど興味を引くものはなかった。
ただ、「新しい」ものとして、ゲーム要素が面白いと思うものは多かった。
その中でもマイクラの原型となったインフィニマイナーは、本来のゲームと違う遊びに人々が面白いと思ってハマっているのを見て、これはいけると思ったらしい。
人々が実際にハマっているという現象、それを見ること自体あまりないのだが、これは「イケる」面白さの発露だ。
ノッチが持っていた、サンドボックス系ゲームへの情熱と、人々がハマっているサンドボックス的な遊び・・・。
これを見つけたノッチは非常にラッキーだったと思う。
とにかく形にしろ
さっそく最初のバージョンを作ってウェブに公開してしまうあたりは、ゲーム作りが「好き」で、プログラミングを覚えた人なら身に覚えがあるかもしれない。
ここで大事なのは、現実化能力の高い人は新しい技術や概念を見つけると、すぐにそれを小さくてもいいので形にしてしまうということだ。
ボロボロでもいいからとにかく完成させろ。
これは僕も大昔どこかで聞いて、よく自分に言い聞かせていた。
「完璧を目指すよりまず終わらせろ」というfacebookのザッカーバーグの名言もある。
unityでいうなら、全部キューブでもいいからとにかく作ってしまえ、ということだ。
最初はどれも小さく始まった
僕はゲーム研究をしているが、そこで思うのは、今有名などんなゲームでも、最初は規模の小さなゲームだったということだ。
もちろん当時の規模感としてはそれなりだったが、今作ろうと思えば割とすぐ作れてしまう。
・ゼビウス
・ドルアーガの塔
・スーパーマリオ
・ドラクエ
・ゼルダ
・メトロイド
・ディアブロ
・GTA
・DOOM
・R-TYPE
・エイジオブエンパイア
・クッキークリッカー
・マインクラフト
・ヴァンパイアサバイバーズ
どれも、当時にしてみればこれまでにないアプローチが含まれていた。
それがヒットにつながった。
新しいジャンルを作ってみる。
DOOMはFPSの走りだったし、エイジオブエンパイアはRTSの走りだった。
GTAなどは最初、車でマップを走り、人を跳ね飛ばすだけのゲームだった。
いわゆる「悪」側のゲームだった。
この反社会性という要素は、人々が隠し持っている「悪を体験したい」という刺激的な需要を満たした。
悪になって大暴れして普段の鬱憤をゲーム晴らす・・・今で言うクライムバイオレンス系の映画ジャンルだと言えよう。
その強烈さからシリーズ化して3Dになり、徐々に規模を大きくなった。
ゲームアプリは画面も小さく、持ち歩いてる間に暇をつぶすという需要合わせると、小さく始めざるを得なかったという面もある。
この小さなものから始まる、という傾向は昔だけのものではなく、今新しく生まれるゲームでも、マイクラしかり、そうやって生まれている。
小さな規模でまず作り、そのアイデアのコアが面白ければ規模を大きく作る。
ゲームデザイン、ゲーム企画において、このプロトタイピング的なアプローチは間違いないだろう。
小さく作り、面白さを確かめ、できれば多くのプレイヤーでテストで確かめ、評判が上々なら作る。
これでPDCAを回せば、貴重な時間を無駄にしないで済む。
「新しい」ゲームへのアプローチ
僕も常々、新しいものを作ってヒットさせたいと、上記のようなヒットへのアプローチを据え、アイデアを考えている。
ただ、「これは作りたい!!」と思うような、マイクラのようなコンパクトなゲームはなかなか思いついていないというのが現状で、毎日ウンウンと唸っている。
実際に作ってみたが、それほど面白くなかったというゲームも山積している。
自分の世界を構築できるというのは非常に楽しいことだ。
このゲーム制作という活動を自分の仕事にして、これで一生食べていきたいというのは、まさに今叶えようとしている夢である。
研究自体はすでに結論に達しようとしているが、あとはアイデアだ。
これを読んでいるあなたもゲーム開発が好きに違いない。
あなた独自の考え、方法、センスでアプローチしているに違いない。
まさにそれこそが、「自分で作った自分のゲーム」であり、自分の力だ、ということができるからだ。
しかし一生は短い。
僕は先人の偉大な知恵、作品の情報を借りることにしている。
結局ゲームをプレイするのは人間なので、人間の研究にも行き着く。
同じ「ゲームにやられた」同志として、あなたのゲーム制作が成功することを願ってやまない。
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