いくつかの哲学的命題/自分は何者なのか

自分は、ハイデガーのいう「投企」によってこの世に投げ出されたわけだが、相も変わらず、いくつかの命題を持ち生き続けている。

●自分は何者なのか

これは「人生が終わってから評価される」という話と、「瞬間瞬間、どう在ろうとするかで決まる」という2つの決定のしかたがある。

前者は自分にはどう評価されるかわからないし、死んだあとでどう評価されようが知ったことではない。

死んだらそこまでよ。

だから、あらかじめどういう理想がいいのか、どういう自分であったら満足できるのか、どういう自分であったら楽しいのか、それを決めて、瞬間瞬間そう在ろうとすることのほうが現実的と言える。

ただ、理想というものは常に変わってくるし、自分がどういう状態であるかにもよって大きく左右される。

残ってくるのは、シンプルなことだ。

強くあれ、賢くあれ、クレイジーであれ、だ。

「こうありたい」という理想への渇望があれば、人は精力的に活動できる。

しかし、「自分にいったいなにができるのか」「できないかもしれない」という無力感に襲われることもある。

そういうときは「世界のありようは自分の解釈に過ぎない」ということを思い出すこと。

自分が思ったような自分になっていく。

自分が思ったような世界になっていく。

「バカな!」と思うかもしれないが、自分がまず変われば、世界にその影響が浸透していく。

これは事実である。

その人々の影響の混ざりあった産物が、「この世界」だ。

だから唱え続けよ。

「俺はすげえ」と!

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