僕たちはなんのために生まれてきたのか? 自分の哲学的意味を確立し、揺るぎないモチベーションと自信を得る方法

どうも、ゲーム作ったりビジネス作ったりしている新田です。

青年のとき、僕はとっても痛い人間だったかもしれません。

なぜなら、四六時中、「意味」を考えていたからです。

生まれてきた意味です。

僕がこの人生や生まれたことにどういう意味を持っているかは後ほど話しますが、おそらくみんな同じ結論に帰結しているのだろうと思います。

ただ、そこでどう行動するかの決断が違っているだけです。

■思考回路の構築

僕は非常におとなしく、余計なことはあまりしゃべらない、ただただ起こる出来事に対応し、欲望に正直な子供だったと思います。

中学生、高校生ともなると、自分と世界の関係がおぼろげに見えてきました。

そして、人生とは辛くもあり楽しくもあり、そしてやみくもに退屈なところだという認識が、僕の中に生まれてきたのです。

退屈、というのは現代社会が成熟しているからであり、太古の昔は寿命が20~30歳だったと聞きますから、非常にシビアな、生き残るために毎日心臓の高鳴りが鳴り止まないほど過酷な世界だったと思います。

退屈を「しのぐ」ために、というより、生まれてからすぐに退屈が自分の世界を支配しているということに慣れ、それを受け身のエンタメで埋めていくという短絡でルーティーンを築いてきました。

そして思春期にはエンタメメディアの洗礼によって、思考回路を築いたわけです。

うちの両親は自営業で食堂を経営していますが、年中忙しく、子育ては完全に放任主義でした。

僕はひとりで勝手にゲームをしたりマンガを読んだり、絵を書いたり映画を見たりしていたのです。

今思えば、思考回路の構築において、その回路に常に「痛み」が生じるようなものにならなかっただけ、だいぶよかったと思います。

親から執拗なDVを受けたこともありませんし、逆に貧乏で生活がストイックだっただけに、たまにいうゲーム機が欲しい、パソコンが欲しいなどという要望は、無理して叶えてくれただけ、親に恵まれたと思います。

世の中には思考回路に「痛み」が生じるアルゴリズムを持っている人がいて、生きること自体、つまり思考すること自体がつらく、生きることに抵抗がある人達がいます。

考えれば考えるほど自分の存在に意味がないと感じ、空虚で苦悩を感じる思考回路になってしまっているのです。

今では、NLPや催眠療法でそういった思考回路の組み換えをして治療することも可能ですが、それもまだ発展途上です。

変わりものとか空気が読めないとか言われる僕ですが、先の意味で言えば普通になんの劣等感もなく思考し生きることができており、そういう意味では運よく「普通」でした。

言ってしまえば、この世は「普通」の振れ幅は割と広く、「ちょっとおかしな」人たちは大勢いて、そういう人たちが人口の9割を占めており、逆に言えば極めて「普通」の人たちを探すほうが苦労するのです。

結婚相手に普通の人がいない、というのは、普通の人は売れていくのが早いというのもありますが、そもそも普通の人が世の中にいないというのが正解なのでしょう。

■哲学的命題

専門学校を卒業し、就職活動に失敗した僕は、ゲーセンでアルバイトをはじめました。ゲーセンの店員は基本「ウェイター」です。Waiter、つまりお客からのなんらかの要望が来るまでは待つのみでした。

そこで僕は、空いた時間に「世の中にある学問すべて」について素養を得るべく、各ジャンルの本を読むことにしたのです。

科学、宗教、哲学。まずは大きくこの分野でした。

かねてから疑問だった自分のルーツ、世界の成り立ちは、哲学にありました。

「人はどこからきて、なにをして、どこへいくのか?」

この質問に答えることは、確固とした自分の土台を築くことにほかなりません。

■人はどこからきたのか?

要するに生命とはどこから生まれたのか? なんの意味があるのか? ということですが、科学的に問うているわけではありません。科学は意味を答えません。現象を説明するのみです。

どうして、種は水を与えると育ち、大きな木になるのか?

細胞分裂によって? ではなぜ細胞分裂するようになったのか? 進化によって? なぜ進化が起こるのか? 環境の中で生き残ろうとして? ではなぜ生き残ろうとするのか?

どこからきたのか、という問いは、実はこうした作用機序を問うているのではないのです。そこにどういう意味があるのか? なぜそう作られたのか? という、ある意味「意志」を問うているのです。

ですから、科学的にはこの問いは無意味です。

「生命はなにをさせられるべく生まれてきたのか?」

という問いが、実は正しい。

でも、神、もしくは大きな存在、偉大なるもの、なんでもいいですが、そうしたものがいる前提で問われても、そうしたものにアクセスできないのですから、結局は主観的に答えるしかありません。

そう、この問いは要は「解釈次第」であり、「あなた次第」なのです。

あなたが、生まれてきた意味を勝手に考え、そのとおりに生きればいいのです。

「あなたが世界に問うのではなく、世界があなたに問うている」のです。

ですから、生まれてきた意味は、あなたが勝手に設定し、勝手にその設定通りに生きればいいのです。

とはいえ、そんなことを言われても・・・と思うでしょう。

ひとつ、指標を示すなら、人は「痛みと快楽」をもとに生きているということです。

痛みを避けて、快楽を得ようとする。

短絡的な快楽はたくさんありますが、時間をかけた積み重ねによってなにかを達成することは、人により大きな快感や充実感を与えます。

さらに自己を成長させることは、自分に対する揺るぎない自信と、自己肯定感を与えます。

人生をこうした喜びや達成感で満たすことは、ひとつの目標と言えるでしょう。

そしてこれを突き詰めれば、スキルアップや、より多くの自由を得るためにお金を稼ぐことは、人生を充実させるためのひとつの手段といえます。

■人はどこへいくのか?

「人はどこからきて、なにをして、どこへいくのか?」

どこからきたのか、なにをして、ということには答えましたので、残りはどこへいくのか? ですね。

人はどこへ行くのでしょうか? おわかりの通り人は誰しも死に向かっています。死で、人の一生は完結します。

宮本武蔵は、「生きることは死ぬことと見つけたり」と言いました。

なにに自分を賭して死んでいくのか? それが人の生きざまだということです。

あなたは、なにに自分を賭けているでしょうか?

一生をかけて成し遂げたいことはなんですか?

それが、あなたの生き様になります。

目標を達成できたか否かは、この際関係ありません。

いかに生きたか、は、「人生をなにで満たしたか」なのです。

「足るを知る」という言葉があります。

今この瞬間に満足するということです。

今に満足できていれば、いつ死んでも後悔は少ないでしょう。

今に満足することは、毎日エンタメを消費し続けるだけでは得られません。

前にも書きましたが、自分でなにかを成し遂げること、自己成長することが、最も自分を満足させます。

ですから、挑戦し続けることです。

大きくても小さくてもいいので、挑戦し続けることが、あなたの人生を充実させ、満足のいくものにします。

足るを知りつつ、毎日なにかに挑戦し続けましょう。

そうすれば、あなたは天寿を全うする祭、後悔することなく人生という旅を終えることができるはずです。

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