どうも、ゲームを作ったりビジネスを作ったりしている新田です。
めっっっっっっっちゃ重いテーマだなあ・・・と思ったかも知れません。
が、人生は結局は「毎日どう生きるか」ということに着きます。
毎日の瞬間瞬間をどう生きるか、ということです。
人生は瞬間の積み重ねですから。
あなたは、どうでしょう?
どう生きていますか?
■「なぜ生まれたのか?」
僕は20代の前半、ずっと哲学的な命題ばかり考えていました。
バイト先が暇すぎて、本をずっと読んでいたのです。
その中でも「究極の質問」は、人生の土台を固める上で、答えを出しておいてよかったな、と思える知識でした。
では「究極の質問」とは?
「人はどこからきて、なにをし、どこへいくのか?」
これです。
僕の答えをここに書いておきたいと思います。
人はいつの間にか生まれて、いつの間にか学生になっていて、気がついたら社会人になっていた。
そして、自我が明確になり、自分というものを客観的に見れるようになると
「自分はなぜ生まれたのか?」
ということを考えるようになります。
しかし、その問いの答えはありません。
生まれことに意味はなく、さして理由もありません。なぜなら誰も人間が生まれた理由などわからないからです。気がついたらこうだっただけです。
わからないことを掘り下げることはできません。
逆に言うと、人は自由なのです。どう生きようが自由です。
法律や社会ルールがあるじゃないか、と思うかも知れませんが、別にルールを守らなくてもいいのです。
すべては、許されています。
人間は社会的な存在の前に自然的な存在であり、自然では動物のようにすべてが許されています。
人間は自然の中に放縦されていて、ルールを守ろうがなにをしようが自由です。
ただ、社会に生きている以上、ルールを守らないと罰せられるし、システムに追われることになるという因果ははっきりしています。
社会に悪とみなされることをすると、自由を奪われることになります。
とはいえ、悪いことをしなければ自由です。
だから、「なぜ」という質問に答えられはしないけれど、「どうするか」は勝手に決められます。
あなたが自分の人生をどういうふうに生きようが、どういう価値や意味をつけようが、それは自由なのです。
この瞬間瞬間に、どういう意味をつけるのか? それはあなた次第です。
世の中には人の行動に価値や意味を勝手につけてくれる人もいます。
世の中の役に立つ行動をすれば、世の中から感謝され、評価されます。
外界から評価されるようなことをして、ヒーローになることもできるわけです。
そうして、自分の人生に価値や意味を感じることもできます。
いずれにしろ、あなたは「自分の人生はなんなのだ?」と問いても答えは得られませんが、逆に「あなたの人生はなんなのですか?」と問われているのです。
あなた自身が、自分の人生をデザインする立場です。
どう生きるかは、あなたが決めるのです。
■理想を思い描く
人は世界と自分の存在を相対的に見ることができるようになったとき、自分の行動を自分で明確に決められるようになります。
過去に縛られるのはもう終わりです。
今では自分を自分の思うようにプログラミングする技術すらあります。
過去という電気信号の結果を、別の過去に書き換えることもできます。
いずれにしろ、あなたは自分のことはもう自分で決めないといけないのです。
いや、決めないままずるずると生きることもできます。それも選択です。
ただ、あなたが「自分の人生だから、充実させたい」「死ぬ前になって後悔しないよう、満足のいくように生きたい」と、人生を最大限に味わいたいと思うのであれば。
理想の人生を思い描き、それに向かって進むことになります。
仕事でも、人間関係でも、生活する場所でも、創造的なことでも、理想とする自分でも、なんでもあなたの理想を決めて、それにチャレンジすることになるでしょう。
力を抜いてダラダラでいいや、とか、静かにつつましく、とか、欲張りにやりたいことは全部やる、とか。
どういうふうに人生をデザインしようが、自由です。
自分がほんとうに望む人生は、一日ではなかなか描ききれないだろうと思います。毎日、少しずつ足したり修正したりしながら、望む人生を行動で作り上げていく。
そういうことになるでしょう。
あなたの理想の人生は、どういう人生でしょうか?
どう生きれば、満足することができるでしょうか?
■「どう生きるのか?」
「どう生きようと思っているか」が明確だと、世の中は割と思っているふうになっていきます。
逆に、世の中には地獄みたいな日々を送っている人も大勢います。
なぜかというと価値観が地獄を引き寄せるからです。
「社会は自分の鏡」という言葉がありますね。
これは「結局自分が世の中をどう見ているかで、世の中が返してくる反応も変わってくる」ということです。
あなたが「世の中はクソだ」と思っていると、世の中のクソな側面だけがズームアップされて、「ああやっぱり世の中はクソだ」と思うハメになる、ということです。
逆に「世の中は素晴らしい。人々は素晴らしい」と思っていると、そういう側面がズームアップされますし、「この人はいい人だな。友達になりたいな」と思ってくれる人が集まってきます。
解釈は自由です。そして、その解釈によって、世の中は変化します。
未来は、あなたが今どういう考えを持っているかで、どんどん決まっているのです。
世の中にはいろんな人がいますが、みんな幸せになりたいと思ってます。
これは共通しています。
だから、自分を幸せにしてくれる人、幸せの助けになる人を近くに置きたいと思うわけです。だからそういう人にはたくさんの人が集まってきます。
基本的に人は、「いい人」であるべきです。これはどんな宗教でもそう言っていますし、道徳でも、国の基本理念にも含まれています。
そして、人は「自由になりたい」と考えています。
お金や仕事や国や住んでいる土地、家族、世間体、そういう自分を縛るものから自由になりたいと考えています。
僕も若い頃は、自由がほしくて、24時間365日、クリエイティブ活動のできる時間がほしいと、ぐるぐると考えていました。
ただ、自由は安定と引き換えに手に入るものです。
資本主義の中では、自由であるということは毎月定額をもらえるサラリーマンをやめ、食い扶持を自分で稼ぐことで、収入が多くなり、自由になる時間が増えます。
サラリーマンという安定を捨てることは、自由のために必須です。
不安定な収入に慣れること、ビジネスを自分でコントロールし、人のニーズを作り出して稼ぎを維持すること。
それにより自由は得られます。
江戸時代から前の昔の人々は、すべからくフリーランスでした。
士農工商、ほぼほぼフリーランスです。
今は情報社会になり、稼ぐ事はパソコンひとつでできるようになっています。
あなたがもし、自由になりたいなら。
あなたが、より自分らしい人生を望むのであれば、独立し、ビジネスを始めることをおすすめします。
あなたは、すでに人に提供できる価値あるものを持っています。
まずは、人に自分の知識、スキルを提供するべく、動画、音声、テキストを作ってみる。
そして500円で売り出してみる。
noteで売ってみる。
おそらく、そこからあなたの人生は激変することでしょう。
ぜひ、行動してみてください。
ニュースレター登録お願いします