僕はどうして自在にゲーム作品を作れるようになったのか? 絶望と七転び八起きでゲーム業界に就職した話

どうも、ゲームを作ったりビジネスを作ったりしている新田です。

今回は、僕がどうして自在にゲーム作品を作れるようになったのか? 絶望と七転び八起きでゲーム業界に就職した話をお送りします。

まず最初に、昔作って割と評判がよかったゲームを紹介したいと思います。

これです。


【 X68000 】 STDS00751 R+R

これは僕が20歳くらいのころに初めて本格的に作り始めたX68000のゲームで、フルアセンブラ、音楽のアレンジ以外はほぼひとりで作りました。

地元秋田から、当時入りたかったカプコンとアイレムを受けて落ち、親から旅費をゴネられ絶望し、コナミを受けるのを諦めました。

コナミの就活担当の方に電話して辞退する旨を伝えたら、とても残念そうな声をしていたのを覚えています。

で、

「しょうがないからなにか実力を示すものを作るしかない」

と思ったのが、作り始めたきっかけです。

プログラム、グラフィック、音楽をほぼひとりでやったんですが、プログラムは超面倒なアセンブラで、グラフィックは3回くらい全部描き直し、音楽も覚えながら作るという感じで、5年くらいかかっています。

グラフィックは最初本当にヤバいくらい下手くそで、納得行くものになるまで作り直したので、このために5年かかりました。

これ以前は高校のときに情報処理部に入っていたときに作った「トロン」(対戦で線を引き合って戦うゲーム)がありますが、それはBASIC言語で、よくわからないパソコンで作ってましたね。フロッピーディスクが8インチのマシンでした。

「R+R」は完成後、これをポートフォリオにしてゲーム会社を受け、受かりました。

これはそもそもゲーム会社に入るために作ったものだったのです。

当時就職氷河期で、大手は難しいかも知れないと、できたてホヤホヤのソフトハウスを受けましたが、そこがいろんな分かれ目だったと思います。

作戦は成功でしたが、5年は時間をかけすぎたと思います(笑)。

5年もゲームを作ってたので、ゲーム制作の基礎力はここでついたと言っても過言ではないですが。

どーしてもゲーム会社じゃなきゃ働く気がしない! と、5年間フリーターでゲーセンに勤めつつ、作っていたわけですね。

そういえば「スターデューバレー」の人もバイトしながら5年かけたと聞きますが、それと同じ情熱だったと思います。

「スターデューバレー」は10億円稼いでいるので、ネットでマネタイズができる時代に生まれていれば!! と何度思ったことか(笑)。

バイトのゲーセンはナムコの「キャロットハウス」と、宝娯楽という会社のゲーセンを行ったり来たりしてました。

当時のゲーム筐体のゲームはディップスイッチでキャラクタの配色が見れたりしたので、「R+R」の配色の参考にしたりしていました。

「キャロットハウス」では同人誌を作ったり、常連の人達との交流でいろいろな人間模様があったのですが、それはまたの機会で。今でいう「沼」な状況でした。

「R+R」は当初、作りかけをパソコン通信大手の「Niftyサーブ」のSharpフォーラムのライブラリにアップしていたのですが、すぐに真似したようなゲームが現れ、「ああこういう影響があるのか」と思った記憶があります。

ゲーム会社に受かり、上京後、当時「超連射68K」で有名だったファミベのよっしんさんに見せたら「これコミケで売りましょう」と言われ、ブースに参加させてもらって売りました。

僕の初のゲーム販売でした。

ひとつ1000円で売出し、初回は40万円ほどになり、それでウィンドウズパソコンを買いました。

自分で作ったものがすげえ大金になったと驚きましたね。

継続して作ればコミケで暮らしているのかもと思いましたが、僕のコミケ人生は2回の参加で終わります(笑)。

よっしんさんにはたいへんお世話になり、感謝しかないです。

よっしんさんはその後SCE(今で言うSIE)でライブラリ仙人をしていると言ってましたが、今はわかりません(githubで見かけたくらいです)。

「R+R」は見て分かる通りSTGの「R-TYPE」と「雷電」の間の子みたいなゲームです。

好きだったその2つのゲームを単純に組み合わせたわけです(笑)。

当時はX68000のSTGというと「超連射68K」だったのですが、パソコンのモニタが横画面だったのと、同じようなものを作っても技術的に比べられると思い、横スクロールシューティングにしました。

よっしんさんは当時「スプライトダブラー」という、機能的に256個しか出せないスプライトを512個出すハッキングみたいな技術を開発していたんですね。

彼は生まれ持ってのハッカーだと思います。

あと横スクロールになったのは「雷電」よりも「R-TYPE」のほうが好きだったというのもあります(笑)。

「雷電」からの影響は、敵が弾を出すときに射出口のアニメーションがめっちゃ細かいんですが、そこに惹かれてそのまんま真似しました。

あとは爆発ですね。爆発は「雷電」のものと、「アイレム爆発」と呼んでいた、一瞬大きくフラッシュする爆発を真似してましたね。

画面によく出てくるオブジェクトをめっちゃ凝ると、ゲーム全体のクオリティが高く見えるというテクニックがあるのですが、これは今のゲームでも通用すると思います。

あとこのゲームには隠れキャラが全部の面にあります。隠れキャラ大好き人間です(笑)。

僕のゲームはその後に作ったゲームにもよく「隠れキャラ」が入っています。

「R+R」は現在、なぜかYouTubeにプレイ動画がいくつもアップされています。

発見したときは感動でしたね(笑)。

ロシアの人とか、同人ゲームを集めている人がいて、プレイ動画をコツコツアップしているようです。

1995年くらいに完成したものですが、今でも動いてるのを見れるのはすごい時代です(笑)。

ともかく、このゲームの完成をきっかけにゲーム会社で働き始め、下請けとして大手の仕事をするようになっていきます。

そして徐々に「転職で大手に入れればと思っていたが、それは間違いかも知れない」と思い始めるようになります。

そして3年後、ゲームデザイン研究サイト「ゲームのしくみ」の開設、そしてゲーム会社設立へとつながっていきます。

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