●この世の価値
「投企」によって放り込まれたこの世界で、僕らはいったいなにをするのか?
一生の長さはほぼ決まっており、永遠に生きることはできない。
死んだら、おしまい。
死んだら五感は消え、意識はなくなり、人間ではなくなる。
宇宙の歴史からしたら、僕たちの一生の時間とは、飛んで散った火花のようなもので、その光にどんな価値があるのか、わかりはしない。
そもそも、価値を問うこと自体が間違っているのかもしれない。
人生とはそういうものではなく、逆に僕らが作り上げることを強制されているのだから、「どういうものにするんだ?」と問われていると思ったほうがいい。
どうせ生きるなら、楽しんで生きたほうがいい。
気持ちよく生きたほうがいい。
嫌なことを感じ続けるより、気持ちのいい人生を送り続けたほうがいいよね?
これは、明らかな選択である。
だったら、どう生きることが気持ちいいのだろうか?
それは、僕らが何に対して気持ちいいと感じるのか、正確に捉えなければならない。
自分が属している自然、社会、近隣の人間関係も考慮に入れないといけない。
そして、人生をトータルでバランスよく考えたほうがいい。
気持ちいいからと毎日酒を呑んだくれたり、ギャンブルに興じたり、セックスを求めてさまよい続け、時間をそれに使い続けることで、どういう将来が待っているのか、想像に難くない。
自然は、社会により隠蔽されている。
自ら自然の驚異に立ち向かわなければ、ほぼ偶発的にしか自然の影響は受けない。
社会は、僕らの生きるステージである。
社会は、資本主義社会だったり、税制だったりで、僕らに労働力として存在することを強いている。
仕事は人生の大半を占める活動になっている。
そして、人間関係は、僕らが社会で暮らすために、避けては通れないものだし、逆に人生の楽しみでもある。
さらに、自分。
さまざまなスキルをつけることができ、成長できる自分という存在がある。
ざっくりとだが、こうした「素材」を、人生を楽しむためにどう使うのか、考えなければならないわけだ。
人生の半分は問題で、もう半分はその問題を解決するためにある、という言葉がある。
問題は、解決したときに大きな達成感を得られる。
与えられた問題だけでなく、自分で設定した問題を乗り越えることでも、大きな達成感は得られる。
どうやら、人生の気持ちよさとは、問題と問題の解決に、大きな関連がありそうだ。
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