「バカ」と頭の良さについて

「バカ」って言葉には「頭が悪い」っていう意味合いがあるけど、単純に意味もなく罵倒する言葉じゃなくて、ほんとうに「バカ」だなというとき、その人のどういう状態が「バカ」なのか、ってことをたまに思います。

バカにも段階があります。

・脳の器質的に「バカ」

これは脳の障害なので、「バカ」って言ってしまうと差別的になる気もしますが、物事を論理的に考えられない状態を「バカ」とすると「バカ」です。

・論理思考が足りない「バカ」

だいたいにおいて「バカ」とはこのことを指すわけですが、「ああすればこうなる」という自明な帰結を想像できない人のことをいう「バカ」です。

これは「学がない」という言葉と同等で、学校でだんだんと身についてくる論理思考が浅い、という状態です。

生きているうちに、「ああするとこうなる」とわかることもあります。

例えば万引きとかの犯罪を犯した場合、社会的評価がどうなるかは自明です。

バレれば親からの評価も下がるし、友人知人からの評価も下がります。

町内とか周辺のコミュニティからの評価も下がります。

ネットで拡散された日には、新しく出会う人から検索されたりして「あーこの人犯罪者だ」と、最初から評価が下がってしまうわけです。

社会的評価が下がるとどうなるか?

自明なのは、

1・友達が増えない
2・仕事を選ばないといけなくなる
3・自己評価が下がる

などです。

友達が増えなければ単純に寂しいし、知恵も貸してもらえず、いろいろ相談できないから行動範囲も狭まります。

仕事を選ばないといけなくなると、単純労働の方向に集約されていきます。

誰でもできる仕事は自己評価を下げるし、面白くないし、生きていることがつまらない、みたいになっていきます。

自己評価が下がると、自分は生きる価値がないと思うようになり、社会を憎むようになり、自殺を考えるようになります。

犯罪を犯すことは、こうした危険性をはらんでいるわけです。

こういうことを想像できなくて万引きをしてしまうから、「ほんとバカだな」と言われるわけです。

 

ただし、論理的帰結がなかなかわからないこともあります。

例えば普段はおとなしいけどカッとなるとすぐ暴力を振るうとか、被害妄想が強くて一度粘着するとしつこいとか、レアケースな行動がある場合です。

こういう行動が評価を下げるということは、何度かやってみて、体験してみるしかなかったりします。

暴力は一時的にまわりを支配して自在感を味わったりできますが、その後の評価のプラスマイナスのトータルで言えばマイナスになることがほとんどです。

しかし暴力が当たり前のコミュニティにいたりすると正当化されたりするので、なかなか自分では判断できないことでもあります。

全体を俯瞰する能力がいるわけです。

 

このような論理的帰結が曖昧な行動は世の中にたくさんあります。

正直が美徳だと思っていて人が不快になることを平気で言うとか、

相手の気持ちがわからないから自分の考えを押し付けるとか、

自分と違う考えを持っているからと攻撃するとか、

ネット社会にはこうした人達の相互作用的な絡みが蔓延しています。

ネットでは面白がって「バカ」に注目する流れがあり、それが収入につながってしまう構造があったりで、それを助長する傾向すらあります。

炎上商法なんかは衆目を集めることをわかっていてやっていて、一度注目を集めれば継続してアクセスを得られ、収益につながるので、マーケティングやブランディングの一環になったりしています。

 

結局のところ「バカ」とは偏狭な信念の顕在化なわけです。

しかし世の中にそれを助長する構造もあるので、一概に「バカ」に当てはまらず、勝てば官軍、「バカ」じゃなくなることもあります。

「バカ」と言われることを利用して目立つことも正当化されるのです。

ということで「バカ」とは裏返せば「頭の良さ」にもつながるわけですが、ほとんどの場合「バカ」なことによる出世は偶然であり、レアケースです。

「バカ」なことをして目立つことは有名になることにつながり、収入増になることもありますが、その後の人生を見るに、トータルがプラスになるかマイナスになるかは、その人が本当に「バカ」ではなく、本当は「頭がいい」場合にかかっていると思います。

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